家族を養うために1年間だけ出稼ぎに行くつもりが、中国の貧しい農村に嫁として売られてしまった北朝鮮女性、マダム・べー。彼女に密着したドキュメンタリー、『マダム・べー ある脱北ブローカーの告白』のユン・ジェホ監督にインタビューしました。過酷な運命に立ち向かい、脱北ブローカーとなって中国で逞しく人生を切り拓くマダム・べーの素顔や現在の暮らしぶり、ユン監督が目の当たりにした脱北者達のリアルな姿などについて伺いました。
PROFILE
1980年、韓国生まれ。大学でクラシックアートを学び、2001年渡仏。エコール・デ・ボザールで学んだ後、パリの国立高等装飾美術学校でクラシック映画やドキュメンタリーを学ぶ。 2008年にル・フレノア国立現代アートスタジオ入学。韓国で撮影した中編映画『暗闇の中で(In The Dark)』、多くの国際映画祭に招待された短編『赤い道(Red Road) 』などを監督。 2009年には、オーストラリアの砂漠を一人旅しながら、短編『島(Island)』を撮影。2011年、短編『約束(Promise) 』が、韓国のアシアナ国際短編映画祭でグランプリを受賞。2012年、カンヌ映画祭レジダンシー部門(シネフォンデーション)に選出され長編劇映画を企画。同時に、ドキュメンタリー『北朝鮮人を探して(Looking For North Koreans) 』を製作し、さまざまな国で高い評価を得る。 2016年、ドキュメンタリー映画『マダム・ベー ある脱北ブローカーの告白』を仏韓共同出資で製作。モスクワ国際映画祭、チューリッヒ国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞受賞。 最新作の短編劇映画『ヒッチハイカー』は『マダム・ベー ある脱北ブローカーの告白』とともに、2016年のカンヌ映画祭監督週間で上映された。
ミン:
過酷な脱北の実情とともに、マダム・べーという女性の逞しい生き方が描かれていて、興味深く拝見しました。マダム・べーとは、どのように知り合われたのですか?
ユン・ジェホ監督:
『北朝鮮人を探して(Looking For North Koreans)』というドキュメンタリーを撮っていた2012年頃、知り合いになった脱北ブローカーのツテで彼女を紹介してもらったんです。自分は劇映画の脚本を書くためのリサーチとして大勢の脱北者に話を聞きたくて、その仲介役をお願いしたのがマダム・ベーでした。
ミン:
脱北者を紹介してもらう目的で会われて、そこから、マダム・ベー自身のドキュメンタリーを撮りたいと思うようになったきっかけは、何だったのでしょうか。
ユン・ジェホ監督:
実は、僕から「映画を撮らせてくれ」と提案したわけではないんです。彼女と親しくなるなかで自宅に伺う機会があって、そこで初めて中国人の家族を紹介されました。彼らはものすごく僕に優しく接してくれて、この人達とマダム・ベーがなぜ家族として暮らしているのか、不思議でたまらなかった。それで、彼女に初めて事情を聞いたんです。その内容に、衝撃を受けました。すると、彼女自ら「私の映画を撮ってみたら?」と提案してくれて、そのまま撮り続けることになったんです。
ミン:
そうだったんですね。でも、脱北や密入国と聞くと、命からがら行うイメージがあったし、この作品が公開されることで、マダム・ベーやその周囲の人々が危ない目に遭ったり、監督ご自身にも圧力がかかったりしないのかな?と心配になりますが…。しかも、ブローカーという影の存在であるマダム・べーが、ここまで表に出てしまって大丈夫なのでしょうか。
ユン・ジェホ監督:
マダム・ベーが韓国に渡ることを決めたときに、もう彼女はブローカーの仕事からは足を洗う決意をしていたんです。それもあって、映画化していいと言ってくれたんだと思います。それに、僕が見聞きした印象では、脱北者の方は意外と自然というか、自分のことを話すのに抵抗がないんです。一概には言えないですが、脱北者がメディアの取材を受ける際に、メディアが聞きたがる言葉を話さざるを得ない状況もあるのだと思います。
ミン:
なるほど。とはいえ、マダム・ベーが北朝鮮から韓国に渡った息子達に会うために、ラオスとタイのバンコクを経由して韓国へと向かう旅は、やはりかなり過酷でしたね。ご同行されて、いかがでしたか?
ユン・ジェホ監督:
彼女から韓国へ行くと連絡があって、出発の場面を撮影しようとしたら、どさくさまぎれに自分も一緒に車に乗せられてしまって(笑)。想像を絶する過酷な旅で、ろくに食事もできず、風呂にも入れず、撮影機材も重いし。タイ、ラオス、ミャンマーの国境が交わる“ゴールデン・トライアングル”地帯を通過するときは、18時間も寝ずに山を登り続けました。途中から撮影どころではなくなって、とにかく生き延びなきゃって。やっとタイに到着したら、脱北者達はタイ警察の保護下に置かれるけど、韓国人の僕は不法密入国で処罰されて追放されてしまったんです。
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ミン:
そんな紆余曲折があって、ようやく舞台は韓国に移るんですね。映画には、中国の家族も、脱北して韓国に渡った彼女の元々の家族も登場します。自分達が撮影されることに対して彼らの反応はどういったものでしたか?
ユン・ジェホ監督:
どちらの家族も、マダム・べーを撮影することや自分達が映画に出ることに対しては嫌がったりしませんでした。「撮っていいよ。問題ない」という風に、意外とすんなり受け入れてくれました。
ミン:
中国の田舎に住むごく普通の家族が脱北者の嫁を買ったり、描かれている事実は、日本人の知り得ない衝撃的なことばかりです。でも、どちらの家族も拍子抜けするくらい大らかなんですよね。むしろ、そこが一番衝撃でした。脱北して韓国に住み始めたマダム・べーの次男が顔にパックしているシーンがありましたが(笑)、想像以上に生活や文化に馴染むのも早いんだなって。北から南の生活に抵抗なく染まれるのは、若者ゆえなんですかね…。
ユン・ジェホ監督:
マダム・ベーの2人の息子のうち、次男のほうが早く韓国社会に慣れていましたね。長男は、あそこまで柔軟ではなかったようです。しかも、次男は映画俳優になる夢をもっていて、肌の手入れにすごく気を使っているんです(笑)。
ミン:
すごい順応性です(笑)。映画俳優になるという夢は、韓国に渡ってからもったのでしょうかね?
ユン・ジェホ監督:
いつからそう思っていたのかは定かではないですが、取材中に彼の夢を聞いたら、映画俳優になりたいと答えて、さっそく演劇学校にも通っていたんですよ。
ミン:
脱北して、新天地で未来を描く子ども達とは反対に、父親はどこか腑抜けてしまっているように見えました。マダム・ベーも、覇気のない元々の夫への関心はすっかり薄れていて、中国の夫と義父母に安らぎを見出しているようでしたし。切ないけれど、女性として気持ちがわかる部分でもあります。実際に両家族と接した監督には、どう見えましたか?
ユン・ジェホ監督:
おっしゃるように、恋愛感情的なものは中国の夫に移っていたのでしょう。本当なら、マダム・べーは1年間だけ中国で出稼ぎして北朝鮮の家族の元に戻るつもりだったんです。でも、中国人の夫と出会い、一緒に暮らすことになった。最初は、自分を買った憎むべき家族だったけど、中国の夫は北朝鮮の夫に比べて、ユーモアがあって、太っ腹で、背も高くて、顔もハンサムで、しかもすごく良い人なんですよね。彼女と年齢も近いので話も通じやすい。北朝鮮の夫は9才年上なんです。自分も両方の夫と実際に会って、マダム・べーが中国の夫に惹かれる気持ちも、何となくわかるんですよね。
ミン:
さらに、義父母もすごく良い人達じゃないですか。いつのまにか、中国の家族が彼女の“ホーム”になってしまったんだなと…。それに、中国で脱北ブローカーとして腕を振るっている彼女ははつらつと輝いて見えたんです。元々の家族と韓国で暮らすほうが、近代的で便利な暮らしができると思うけど、彼女の心は中国にあるのかなと。でも、息子達を簡単に捨てられるとも思えません。気になるのは、現在、マダム・ベーがどうしているのかということです。
ユン・ジェホ監督:
今、彼女はソウル近郊でバーを経営していますよ。
ミン:
えっ!じゃあ、完全に元の家族のところへ戻ったんですか…!?
ユン・ジェホ監督:
映画の撮影は、彼女が2つの家族の間で葛藤しているところで終了しましたけど、もちろん彼女の人生はその後もずっと続いています。結局、彼女はどちらかの家族を選ぶことはせず、1人で生きることを選びました。バーで稼いだお金を2つの家族に仕送りしながら暮らしているんですよ。
ミン:
そうだったんですね…!本当に逞しい…そして、情の深い女性ですね。
ユン・ジェホ監督:
自分がした約束に対して、最善を尽くして守ろうとする女性なんです。
ミン:
どちらの家族も守りたいんですね。もし、このドキュメンタリーの主役が彼女ではなく、中国に売られた別の脱北女性だったら、もっと悲壮感のある作品になったかも知れませんよね。この作品が発しているポジティブなメッセージは、彼女の強さからきているものだし、観ていてすごくパワーをもらえました。
ユン・ジェホ監督:
もちろん、脱北女性のなかには過酷で不幸な運命を辿った方もいます。でも、マダム・べーのようにどんな状況下でも自分の人生を切り拓く人もいる。僕がこの映画を通して伝えたいのは、自分の見方や、先入観を捨てて、人間を人間として見つめることの大切さです。そこには人種も国境もありません。この映画を撮る前は、自分もさまざまな先入観をもって物事を見ていました。軽々しく相手の人生を評価したり、共感したり、判断をくだしていました。でも今は、できるだけ人間のありのままを見つめるよう努力をしています。
ミン:
私自身、脱北者というだけで、悲壮なイメージを持っていたことに改めて気付かされました。でも、脱北するまでの道筋も、その後の人生も、当たり前だけど、人それぞれなんですよね。本日は貴重なお話を聞かせていただきました。ありがとうございました!
2017年3月13日取材&TEXT by min
2017年6月10日よりシアター・イメージフォーラム他全国順次公開
監督:ユン・ジェホ
出演:マダム・ベー
配給:33 BLOCKS
家族を養うために脱北した北朝鮮女性のべーは、騙されて中国の貧しい農村に嫁として売られてしまう。中国の夫と義父母と暮らすことになり、はじめは戸惑うものの、次第に生活を受け入れ、生き抜くために現地で脱北ブローカーとなる。持ち前の逞しさと手腕を発揮し、中国で生き生きと暮らし始めるべー。しかし、北朝鮮にいる息子達のことは片時も頭から離れない。意を決した彼女は息子達を脱北させ、自らも韓国へと渡る決意をする…。
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