映画業界人インタビューVol.10 映画コラムニスト ジャンクハンター吉田さん【中編】
Category : 映画業界人インタビュー , 大学生・専門学校生
プロレスラーをやりながら、映画宣伝の仕事。そして、CGの専門学校へ
ジャンクハンター吉田さん:日本に帰ってきて、ハリウッドでの体験から格闘技の道に進みたくなっちゃって、プロレス界に入ろうと思ったんですよ。それでプロレスの道に進みつつ、1991年、当時住んでた新大塚から行ける場所でバイトできるところを探してたら、株式会社現代(現在は“株式会社現代マーチャンダイズ”)っていう、映画のプロモーションの仕事をやってる会社を見つけて。当時の時給が820円くらいで「安っ!」って思ったけど、修行のためにと思って、面接を受けたんだよね。面接には映画業界に入りたいっていう人がたくさんきていて、皆スーツだったけど、バイトの面接だしというのもあって、自分だけ短パンに半そでで行ったんですよ。ちょっとアメリカナイズされてたから、おかしくなってた(笑)。結局80人くらい面接を受けてて、3人採用の中に入れられて、なんで自分が選ばれたのか不思議だったけど、最初の仕事が『ターミネーター2』で、そんなにでかい仕事があるんだと思った。それから『ターミネーター2』の仕事をやりつつ、ジャッキー・チェンの『ツイン・ドラゴン』っていう映画のプロモーションをやったり、東宝との仕事が多かったね。プロモーションとして、配布用、劇場販売用のキャラクターグッズの企画とか、いろいろとやり始めて、そうしてる間に、自分はまだ20歳で会社で1番若かったので、東宝東和のプロモーション会社に行けって言われて、東和プロモーションっていう会社で下積み生活を始めたんです。映画のチケットを管理している会社で、当時、東宝東和は20世紀フォックスとか日本ヘラルドのチケットの管理をしてたの。でそのチケットの営業を手伝わされたり、飲食店とかを回って、B2ポスターを貼ってもらったり、ポスターをラミネートフィルムで加工して看板を作って、店先に置かせてもらったり、営業なんかしたことがなかったから全然わからなかったけど、いろんなところへ行って、まず喋りを鍛えさせられて、これがタモリ倶楽部で見ていた、喋りを鍛えるってことなんだなと、自分のなかでの挑戦と思ってやってた。そういういろんな仕事をして、映画の宣伝をやった時はおもしろかったですよ。27歳の夏で会社を辞めるまで毎月15万で、生活がすっごくきつかったけどね。でも、やっぱ人生って修行が大事だと思うし。
局長:それと同時にプロレスラーをやってたんですよね?
ジャンクハンター吉田さん:その時に、アニマル浜口ジムに入って、プロレスの練習もし始めた。
一同:うわ!ヘビー!
サン:そのときにジャンクハンターって名前が付いたんですか?
ジャンクハンター吉田さん:ジャンクハンターっていうのはまだ。ジャンクハンターって名乗り始めたのは1997年かな。フリーライターとしての道をスタートする時に、ジャンクハンター吉田っていう名前で活動し始めたんですよ。その後2000年に、プロレスをやって欲しいってすごく頼まれて、その時ライターネームの“ジャンクハンター吉田”のまま、プロレスとか格闘技を始めちゃって。でも、それまではずっとアマチュアでしかやってなくて、プロとしてはやってなかった。48歳でジャンクハンター吉田って、どうなのかなって思うけど、自分でもこの歳までこの名前で仕事してると思ってなかった(笑)。
一同:ハハハハハ!
ジャンクハンター吉田さん:20年ちょっとこの名前で仕事してて、一回この名前を捨てて、“吉田みやん”って名前にしたけど、仕事がこなくて、ジャンクハンター吉田に名前を戻したら一気に仕事がきたっていうね。絶望感を味わいました。名前は変えちゃいけないって思った。まあそういっても映画業界って、もともとお金が儲からない仕組みになってるんだなって、すごく学んじゃって。で、1998年に、デジタルハリウッドっていうCGの専門学校に退職金で行ったんですよ。CGクリエイターになるつもりはなかったけど、フリーのライターとして活動していきたいなと思って。あと1997、98年って、CGブームがくるっていう黎明期だったんですよ。その時にまた修行したいなと思って退職金の80万を全部注ぎ込んで、お茶の水にあるデジタルハリウッドに行って、半年間CGを学んだけど、知識が欲しかっただけだから、就職活動はしなかった。就職活動をしてたら、今の自分はいなかったですよ。でも、その知識のおかげで、ゲームクリエイターとも仲良くなれるし、ハリウッドのCGクリエイターともすごい仲良くなれる。
おこめとパン:それはどうやって、そういう方々と繋がったんですか?
ジャンクハンター吉田さん:取材です。ライターでここまで詳しいやつはいないって皆に言われる。クリエイターはそういう人間を喜ぶわけですよ。ウェルカムって感じで「飲み会やるから来ない?」って言われたり、アメリカに行って取材した時には、今度紹介したいやつがいるからって言って、CGクリエイターを紹介してもらったり、ILM(インダストリアル・ライト&マジック=アメリカの特殊効果の制作会社)の人を紹介してもらったり。それでいろいろ広がっていって、その80万は自分への投資だったけど、役に立ったよね。普通のライターじゃわかんない知識がいっぱいあるって言われて。
取材日:2018年6月1日
吉田さんのこれまでのご経験があまりにドラマチック過ぎて、3回の連載には収めきれないのですが、まだまだ“ドラマ”は続きます!
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