映画業界人インタビューVol.10 映画コラムニスト ジャンクハンター吉田さん【後編】

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映画業界人インタビューVol.10 映画コラムニスト ジャンクハンター吉田さん

映画業界人インタビューVol.10 映画コラムニスト ジャンクハンター吉田さん【後編】

大人の社交辞令を逆手に取り、ファミコン雑誌編集部に遊びに行ってバイトをゲットした恐るべき高校1年生

ジャンクハンター吉田さん:もう1つ自分の転機があったんです。その転機になった人が、元GAGAで、今はメディアコンテンツ研究家と名乗っている黒川文雄さん。黒川さんがGAGAで映画の宣伝マンをやっていた時に、ホラー映画のイベントを新宿のシネマミラノでやって、1989か90年くらいだったかな。『バスケット・ケース』っていうカルト映画があって、フランク・ヘネンロッターっていうニューヨークにいる映画作家を呼んでイベントをやったんです。その時に黒川さんが、舞台に出て、キャパが300名くらいのところで、すごく熱意たっぷりに映画の宣伝トークをして、お客さん達を沸かせてたんです。そんなのは初めて見たから「なんなんだ、この男は!」って思って、こういう宣伝も大事で、喋りも大事だし、やっぱりイベントでの喋りって必要なんだって思って、すごく影響を受けました。自分の中では追いかけなきゃいけない人だなって思って、映画業界に入った時には、黒川さんはまだGAGAにいたんだけど、ある日GAGAを辞めて、セガ・エンタープライゼスに就職されたと知って、ゲーム業界でも名前が出てくるのかなと思ってたら、予想が的中して「やっぱりこの人ってただ者じゃないな」と思った。その後しばらくして、ゲーム関係の人に「昔から黒川さんの大ファンだったんだよね」って話したら紹介してくれて、一緒に食事したんですよ。それから今も仲良く関係が続いています。

一同:え〜!すごい!

映画業界人インタビューVol.10 映画コラムニスト ジャンクハンター吉田さんジャンクハンター吉田さん:もう1人自分のDNAに入っているのは、淀川長治先生。25か26歳の頃に、会社の人から、ヤン・デ・ボン監督のディザスタームービー『ツイスター』の完成披露試写会に行ってこいって言われて、淀川先生の隣りに座ることになったの。こんな大御所の人が隣に座っていても、自分はまだペーペーでこっちから喋りかけるわけにはいかなかったんだけど、隣からすっごく目線を感じるわけ。そしたら、「おい、お前いくつだ?」って言うから、「まだ25です」って返したら、「年齢を聞いてるんじゃない!」って怒り始めて、「体重を聞いてるんだよ!」って言われて(笑)。

一同:ハハハハハ!

ジャンクハンター吉田さん:「体重ですか…、95キロです」って答えたら、「あと5キロ増やしてこい。100キロになったら俺が面倒見てやるから」って言われて。頼んでもないのにどういう意味だろうって思って、「え?意味わかんないですね」って言ったら、「飯食わしてやるから。お前、飯食うの好きだろ?どうせお前金とかないだろ!映画業界なんかな、金とか儲からないところだからな」っていう映画業界の話をいっぱい喋り始めて。そんなこんなで、一緒にご飯を食べたり、映画の観方を教えてもらうようになって、その時に映画宣伝マンとしてプロモーションをやっているだけだと、自分の素の部分が出ないなって思ったの。もともと定時制高校1年の頃に、宝島社の前身のJICC出版局っていうところに入ったんですよ。ファミコン全盛期だったので、そこでファミコン攻略本の仕事をしたり、隔週でファミコン雑誌を出版していた編集部の一番底辺で働いてたの。その時はまだ15歳で、自分で原稿はなかなか書かせてくれないわけで、とにかく雑用ばっかりさせられて。ゲームの攻略本を作る時は、ある程度テキストを書いてそれを写植屋さんに持って行ったりして、国語の点数は悪かったけど、文章の書き方は先輩達を見てすごく勉強になった。で、自分が映画の宣伝をやり始めた時に、文章力が必要になったんです。映画のプレスシートの原稿を書いたり、リリース文も書かなきゃいけないから、絶対必要になったのね。そういうのをやらされて、どんどんどんどん自分が叩き上げで原稿を書くようになったんですよ。そういう話とかを淀川先生にしたら、「お前は独立したほうが良いんだよ。今のサラリーマンで、月に15万じゃ割に合わないだろうから独立して、30を超えればきっと何とかなるだろ」みたいな話になって。「お前がフリーランスで物書きをやるんだったら、いろいろ教えてやる」って言われて、すっごくいろいろ教えてもらって、資料とかも「この辺にあるやつ好きなものを持って帰って良い」って言われて、大量に持って帰って。そこから、自分の中で黒川文雄さんから影響を受けた宣伝マンの仕事とは別に、もう一つのレールに乗っかっちゃったんですよ。文章を書く仕事の大事さを知ったのは、淀川先生のおかげなんです。淀川先生と2年間くらいの濃厚な時間があって、先生には「おれは弟子なんかとらないけど、お前が最後の弟子みたいなもんだ」って言われたんだけど、自分なんかを弟子だと語るのは恐縮でございますみたいな話で。でも、自分の中では、映画の宣伝としては元GAGAの黒川文雄さん、物書きとしては淀川長治先生のDNAが入ってるんです。この2人の影響はやっぱりすごく大きい。

おこめとパン:ファミコン雑誌の編集部にはどうやって入ったんですか?

ジャンクハンター吉田さん:中学を卒業して、たまたまその雑誌の編集後記に、「遊びにいらっしゃい」みたいなことが書いてあったから、ゲームをやりたくて遊びに行ったんですよ。「遊びに来いって書いてあったから遊びに来ました」って言ったら、「本当に遊びに来るやつがいたんだ」みたいな話になって。

局長:吉田さん、そんなのばっかりじゃないですか(笑)!

ジャンクハンター吉田さん:その時に知り合ったのが、今はゲームアナリストって名乗っている平林久和っていう人だったんですよ。平林久和さんは、自分の中で最初の先輩です。行く前にかけた電話を彼が受けてたから、「本当にお前来たんだ。お前いくつだよ?」って言われて、「中学卒業したばっかりでまだ15です」って言ったら、「若いなー!」って皆珍しがって、「じゃあ若いから食えるよな、ラーメン」って言われてパッと机を見たら、カップ麺が50個くらいあったのね。そのカップ麺っていうのが、お湯が必要のないアルキメンデスっていうカップ麺で。

一同:へえ〜。

ジャンクハンター吉田さん:「コレ、編集部に山ほど届いちゃってさ。消化できないから50個食ってくれないか?」って頼まれて。これはとんでもないところに来ちゃったなって思いながら、それを食べたんだけど、25個くらいでギブアップしたのかな。半分は食べないと根性を見せられないと思って。でもそんなに食べるとは思っていなかったらしくて、当時編集長だった井上さんや平林さんが、「こんなに食ったから、編集部にあるゲーム好きなだけやっていいよ」って言ってくれて、そこでずっとピコピコやって。定時制高校だったから、17時半には行かなきゃいけなくて、「すみません、16時半になったので学校に行きます」って言ったら、「え!普通の昼間の高校をサボって来たんじゃなかったのか?」って言われて、定時制高校に通ってるって話したら、「じゃあうちでバイトしないか?」ってことになったの。平林さんにそう言われて、井上編集長経由で唯一の15歳のバイトとして入って、そこで写植とか、雑誌編集とかものすごくたくさんのことを学んだ。自分の中の師匠一番手が平林さんで、2番目は黒川文雄さん、3番目は淀川長治先生。人生で5人は師匠が現れるって言われているんだけど、この3人は自分の中で絶対的存在なんです。あと、人生の先輩ではチャック・ノリス先生がいるので、あと1人って誰が現れるのかなって。この人生の中で、残りの1人が誰だろうって、ワクワクしながら生きているんですよ。

取材日:2018年6月1日

 

今回の記事担当:おこめとパン
■取材しての感想
お話がとにかくディープ(笑)!刺激的な内容だけでなく、惜しみなくご自身の知識や経験を伝授してくださるので、吉田さんこそ”師匠”という印象でした。「何事も行動、そして恐れない!」を信条に、私も壁をぶち破っていきます。

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About Author

局長

私も学生の頃に、こんな企画があったらやってみたかったな〜という思いも込めて立ち上げました。学生の間にしかできない体験をしてもらい、その体験を通して発せられる情報が、映画ファンの拡大に繋がればステキだなと思います。学生の皆さんだからこそ出てくるアイデアやエネルギーに触れて、私達スタッフも一緒に宣伝を楽しみたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします! 私は物心がついた頃から映画が大好きで、大学を卒業すると同時に大阪から上京し、ただ映画が好きという気持ちだけで突っ走ってきました。これまで出会った多くの方のおかげで、今は大好きな映画のお仕事をさせて頂いています。地方の学生の皆さんもぜひ参加してください。課題以外でも、皆さんと集まってお話ができる機会も作りたいと思いますし、少しでも皆さんの将来のお役に立てれば嬉しいです。