REVIEW
本作の背景を知らずにタイトルとキービジュアルだけ見ると、素敵なラブストーリーと勘違いする方もいるかもしれません。でも、描かれているのは、ベルナルド・ベルトルッチ監督の代表作の1つ『ラスト・タンゴ・イン・パリ』(1972)制作の裏側で起きていた出来事の真相であり、同作に出演して以来長らく苦しみの渦中にいた俳優、マリア・シュナイダーの物語です。

マリア・シュナイダー(アナマリア・ヴァルトロメイ)はまだ無名だった19歳の時、当時新進気鋭の監督として注目を浴びていたベルナルド・ベルトルッチ(ジュゼッペ・マッジョ)が監督を務め、大物俳優マーロン・ブランド(マット・ディロン)が出演する『ラスト・タンゴ・イン・パリ』のヒロインに大抜擢されました。『ラスト・タンゴ・イン・パリ』は1970年代に旋風を巻き起こした作品として今でも映画ファンには知られていて、マリア・シュナイダーがこの作品を機にスターになった肯定的な面しか知らない方もいると思います。でも、本作を観ると、これまでスターになるためには犠牲を払って当たり前という見方が暗黙の了解で、さらにいえばそうした過程が美談にすら捉えられていたからこそ、マリアの悲痛な叫びが誰にも届かなかったのだと実感します。

私は『ラスト・タンゴ・イン・パリ』は知ってはいたものの観たことがなかったので、『タンゴの後で』を観る前に、極力前情報を入れずに観ました。『ラスト・タンゴ・イン・パリ』のレビューは、このページの下に分けて書くとして、何も知らずに観ても明らかにすごく不快なシーンがあり、『タンゴの後で』を観て、そのシーンがマリアの心を壊す引き金となったと知り合点がいきました。
でも、『ラスト・タンゴ・イン・パリ』が公開された当時は、そのシーンを筆頭とする性描写が旋風を巻き起こし、マリアの“迫真”の演技を“引き出した”ベルトルッチの“型破り”の演出が評価され、ベルトルッチの罪に誰も口を出しませんでした。本作では、マリアが一人苦しめられる状況に至った背景が綴られています。

実は本作を手掛けたジェシカ・パルー監督は、ベルトルッチ監督の下で働いた経験があり、本作への思いを次のように語っています。
私は19歳のとき、『ラストタンゴ・イン・パリ』撮影時のマリア・シュナイダーと同じ年齢で、ベルナルド・ベルトルッチに出会いました。映画『ドリーマーズ』でインターンとして働いていたのです。私はベルトルッチの作品を深く敬愛していましたが、同時に『ラストタンゴ・イン・パリ』で彼がマリアをどのように演出したのか、ずっと疑問に思っていました。
マリア・シュナイダーの物語は私の心に強く響きました。それは、私自身の助監督時代の経験と重なる部分があったからかもしれません。10年前でさえ、映画の現場に女性は少なく、私はいつも最年少で、周囲は男性ばかりでした。現場で困難なシーンを目の当たりにし、俳優や女優が屈辱的な扱いを受けるのを見たこともあります。私自身も、一部の監督が権力を乱用する様子を感じていました。当時はそれを「異常」だと認識することも、声を上げることもできませんでした。
だからこそ、マリア・シュナイダーの物語は私にとって特別でした。私は誰かを責めたり、裁いたりするのではなく、この出来事の「遺産」に向き合いたい。そして、彼女の視点を通して、この社会を新たな角度から描き出したいのです。(映画公式資料)

『ラスト・タンゴ・イン・パリ』にはヘアヌードのシーンも多くあり、マリアの負担がかなり大きい作品だとわかります。『タンゴの後で』を観ると、マリアはヌードになるシーンが多いことも承知の上で周囲の反対にも屈せずに大きな覚悟を持って挑んだということがわかるだけに、問題のシーンの演出方法はあまりに身勝手で、マリアにとって屈辱的です。
私自身、ベルナルド・ベルトルッチ監督の作品は複数観ていて、好きな作品も複数あります。ただ、『ラスト・タンゴ・イン・パリ』を観て、『タンゴの後で』で真相を知った今ではとても複雑な心境です。そして、#MeToo運動がまだ始まっていない何年も前に『ラスト・タンゴ・イン・パリ』を観ていたら、巨匠ベルトルッチ監督作ということで、シーンの不快感に目をつぶり、口に出していなかったかもしれません。

昨今、これまで評価されてきた監督や俳優達の罪深い行為が明るみに出てきました。同時に、芸術という名の免罪符があまりに簡単に使われてきたように感じつつ、それでもやはり線引きが難しい点もあると思います。唯一無二の傑作を作るという大義名分のもと、自分自身の欲求を満たす行為は絶対に許せないとして、本当に良い作品を作るために必要なことである場合にはお互いの同意と、信頼関係のもとに行われるべきであり、マリアに起きたようなだまし討ちのような手法はあってはならないことは確かです。権力の行使、性差別の問題として誰にでも通じる問題であると同時に、エンタテインメントの世界、芸術の世界に生きる人達が向き合うべき問題が描かれた作品だと思います。
デート向き映画判定

『タンゴの後で』の劇中で、ヒロインを演じたマリア・シュナイダーが『ラスト・タンゴ・イン・パリ』についてどういう印象を持っていたかが吐露されるシーンがあり、私もマリアの意見に賛成です。『ラスト・タンゴ・イン・パリ』で描かれる男女関係は男性の理想の反映でしかなく、こういう状況を女性が喜ぶと思われては困ると思えるシーンが複数あります。カップルで観るのは気まずい内容とはいえ、お互いの感覚を摺り合わせておきたい内容なので、敢えて一緒に観て感想を話すと、嫌なものは嫌だと伝える機会にできそうです。
キッズ&ティーン向き映画判定

19歳のマリアが夢を叶えるために大きな挑戦をしたにもかかわらず、力を持つ大人の策略によって、不本意な経験をするという内容です。エンタテインメント業界の問題は徐々に取り沙汰され、改善されつつあると期待しながらも、まだまだ古い体質は残っていて、業界内だけではなく社会全般の意識が変わるまでとなると時間がかかります。観ていてとても辛い内容ですが、きらびやかな世界に憧れている方は、裏の側面を知っておく機会になるでしょう。

『タンゴの後で』
2025年9月5日より全国公開
PG-12
トランスフォーマー
公式サイト
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2024 © LES FILMS DE MINA / STUDIO CANAL / MOTEUR S’IL VOUS PLAIT / FIN AOUT
ラスト・タンゴ・イン・パリ【レビュー】
ベルトルッチ監督の代表作の1つとして気になりながらも観ておらず、『タンゴの後で』を観る前に観ておこうと思い、DVDレンタルで鑑賞しました。ほぼ内容を知らず、敢えてどのような問題が起きたのかも前情報を入れずに観た上で、序盤から男性の理想や妄想が詰まった作品という印象を持ちました。ヘアヌードがあまりにも多い点も気になりつつ、とあるシーンはかなり不快で、問題視されているシーンはこのことだとすぐに気づきました。
一方で、マーロン・ブランドが演じる中年男性が抱える孤独感や喪失感はわからなくもないし、彼の身勝手な欲望だけで終わるわけではない皮肉な結末まで入れれば、作品の魅力が感じられなかったわけではありません。19歳の無垢な女性が大人になっていく過程で出会った悲壮感漂う男性に対して、母性本能を感じたり、大人の男性への憧れを感じる部分があったのかもしれないとも思います。
ただやっぱり、女性目線だと、序盤から女性がそんな反応するかなと疑問が湧き、男性が描くファンタジーにしか思えず、不必要に感じるほどマリア・シュナイダーのヘアヌードシーンも多く、観ていて男性の欲望を押し付けられている感覚は否めません。
また、問題のシーンは迫真の演技と感心するどころか、マリアのあまりに生々しく悲痛な表情に違和感があり、後から真相を知ると合点がいきました。あのシーンは芸術の域を超えて、ベルトルッチ監督の行き過ぎた好奇心の結果に思えてしまいます。強い好奇心や探究心を否定するつもりは全くなく、むしろそれがあって名作が生まれてきたと思います。でも、その影で被害を被っている人達がいる現実は放っておけず、やったもん勝ちという状況は変えていかなければいけないと感じます。この作品に限らず、良からぬ意味で「どうやって撮ったのだろう?」と感じさせてしまった時点で観客が冷めてしまうのは、作品としてもいかがなものでしょうか。
『ラストタンゴ・イン・パリ』
R-18+
監督:ベルナルド・ベルトルッチ
出演:マーロン・ブランド/マリア・シュナイダー
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TEXT by Myson
関連作
「あなたの名はマリア・シュナイダー「悲劇の女優」の素顔」ヴァネッサ・シュナイダー 著/早川書房
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情報は2025年8月時点のものです。最新の販売状況や配信状況は各社サイトにてご確認ください。
