『けものがいる』と『シンシン/SING SING』は全く内容は異なるものの、感情の必要性について考えさせられるストーリーといえます。
そこで今回は、感情が有害か有用かという点で論じます。感情の代表的な理論は、「心理学から観る映画51」の記事をご覧ください。
「心理学から観る映画51」でも述べたように、「感情」はさまざまな捉え方ができ、一言では説明できない複雑な概念です。心理学では、感情が有害か有用かという議論が行われてきたなか、フロイトやスキナー、ヘップといった20世紀初頭から中盤の心理学者達は「進行中の行動を妨害したり、理性的思考や行動を妨げたりするという感情の『作用』に注目し、感情有害説を主張した」といわれています。ただ、現在は感情有用説が優勢とされています(大平、2010、p.54)。
有用であると考える根拠は、以下の学者達の意見からうかがえます。
Baumeister & Bushman(2008)は、「感情は個人と環境の関係(良いまたは悪い)を知らせる重要で強力なフィードバック・システムである」と述べています。Damasio(1994)は、「感情が欠如すると、対人関係や学習、意思決定などを含め生活は著しく影響を受ける」としています。以上は、感情を「認知処理を誘導する機能」と捉えています。(大平、2010、pp.66-67)

大平(2010)によると、進化心理学の観点では、「感情は個体の適応度を高めるように作用するシステム」(p.76)と定義されています。なお、適応度(fitness)とは、生物が、変異、遺伝、競争、選択を経て、特定の環境に生存し、子孫を残せるよう「遺伝子が次世代に受け継がれる程度」(p.73)を指します。生物は「適応」するために、避けるべき刺激か接近すべき刺激かを「学習」するなかで感覚が鋭くなっていきます。そして、「学習」されやすいよう、刺激は増幅されて感じるように進化してきたと考えられています。たとえば、ヘビやクモに対する恐怖、高さ恐怖、よそ者恐怖といったように、人間が恐怖を引き起こしやすい恐怖症は、進化的適応環境と対応しているという指摘があります。つまり、恐怖症の対象の多くは、人間が環境に適応して進化する上で危険を感じて避けるべき対象や状況に相当するということです。
願わくばあまり感じたくない恐怖や不安は進化の過程で備わってきた機能であり、危険信号としての働きがあると考えると有用といえるでしょう。ただし、制御できない程度に及ぶと害を及ぼします。それは、「感情の機能不全」が、多くの精神障害と関わる(大平、2010、p.68)とされる点から説明できます。

『シンシン/SING SING』のストーリーに当てはめると、危機的状況に晒される環境で生きてきた人達の中には、感情をなくすことで環境に適応せざるを得なかった人もいたと考えられます。でも、更生して社会に戻り、他者と接点を持ちながら人間らしく生きるためには感情が必要です。感情があることで人は苦しみ、心が壊れてしまう一方で、感情によって再生できることを、『シンシン/SING SING』は物語っています。

『けものがいる』については、感情がないほうが人は楽に生きられるという思想と、そんな思想が蔓延る社会に反発する主人公の生き様が描かれています。『けものがいる』は、時代を経た複数のストーリーにおいて、人間にとっての感情を男女関係を軸に描いており、進化心理学の観点で捉えるとさらに興味深いです。恐怖や不安、パートナーを選び出そうとする上で働く感情は、まさに生存と次世代に遺伝子を残そうとする過程で進化してきた感情と捉えることができます。そして、あくまで一つの解釈に過ぎないものの、タイトルの「けもの」は人間の本能ともいえる感情、情動の比喩だと考えられます。
結局のところ、感情は有用でありつつ、機能の仕方によっては有害になり得ます。ただ、有害であっても感情をなくすことは解決策にはなりません。感情についてはまだまだ解明されていない部分が多いものの、人間を知る手がかりは多くあるので、今後もさまざまな切口で取り上げていきます。
<参考・引用文献>
Baumeister, R. F., & Bushman, B. J.(2008)Social Psychology and Human Nature. Thomson.
Damasio, A. R.(1994)Descartes’ Error. Grosset/Putnum.
大平英樹(編)(2010)「感情心理学・入門」有斐閣

『シンシン/SING SING』
2025年4月11日より全国順次公開中
ギャガ
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『けものがいる』
2025年4月25日より全国順次公開中
セテラ・インターナショナル
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TEXT by Myson(武内三穂・認定心理士)
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情報は2025年5月時点のものです。最新の販売状況や配信状況は各社サイトにてご確認ください。
