皆さんはストックホルム症候群という言葉を聞いたことがありますか?これは誘拐、監禁、ハイジャック等の状況下で、被害者が陥ることがある心理現象です。被害者が犯人に対して好意を抱いたり、恩義を感じたりといった心理現象で、ストックホルムで実際に起きた銀行強盗事件の被害者にこの現象が見られたことで、それが語源となっています。今回は、ストックホルム症候群を起こす背景を取り上げます。
児童虐待や家庭内暴力の被害者にもこの原理が働いている!?
ストックホルム症候群の語源となった事件は、1973年8月にスウェーデンの首都ストックホルム市内の銀行で起こりました。この事件を基にして描かれた映画『ストックホルム・ケース』がありますが、映画は実際の事件と設定が異なる部分があるため、ここでは実際の事件の内容を基にお伝えします。
<ストックホルムで起きた銀行強盗事件の基本情報>
1973年8月23日、ストックホルムの銀行にマシンガンを持った2人組の強盗団が押し入り,4人の若い人質を取って、131時間立てこもりました。人質の年齢は21,23,25,31歳(女性3名、男性1名)、強盗団は26歳と32歳の男性でした。被害者達は犯人達よりも警察のほうを恐れ、解放後、「犯人達は警察から自分達を守ってくれた」と犯人への共感を表し、警察や政府へは敵意と恐怖を語ったとされています。また、被害者の女性のうち1人はその後犯人と結婚しました(作田, 2002;佐藤・小畠・田中, 1997;重村, 2008)。
別の事例として、作田(2002)は2件の誘拐・監禁事件を紹介しています。1974年に起きたバトリシア・バースト事件の被害者、サンフランシスコ・エグザミナー誌のオーナーであった大富豪の長女パトリシアは,やがて自分を監禁した政治的グループ“SLA”に共鳴し,自ら銀行強盗に参加するまでに至ったとのことです。一方で、1990年11月に,9歳の少女が新潟県内で誘拐され、10年間監禁されていた事件では,被害者が犯人に対して肯定的感情を抱いたことは一度もなかったと考えられ,ストックホルム症候群は否定されたとされています。
重村(2008)は、2002年に起きたモスクワの劇場をチェチェン系武装勢力が占拠した事件で,人質10人に同症候群が見られた一方で、FBI(米国連邦捜査局)による1200件以上の人質・立てこもり事件のデータ検証では,92%もの被害者には同症候群の徴候は見られなかったことを提示。人質事件において同症候群が起こる確率は稀であると指摘されている点について言及しています。佐藤・小畠・田中(1997)でも、同筆者等が24年間にわたり行った司法精神鑑定例約250件において,被害者が同症候群の諸特徴を十分に満たした狭義の事例は存在しなかったと述べています。
このように、人質事件で起こる確率は決して多いとは言えないながらも、ストックホルム症候群が起こる場合、一定の条件が揃っていると定義されています。
Ochbergの定義
①人質が監禁者に対する肯定的な感情、好意的な感情を抱くこと
②警察・司法当局に対して否定的な感情を抱くこと
③こうした特異な感情がしばしば犯人によって報いられていること
(作田, 2002;佐藤・小畠・田中, 1997)
ストックホルム症候群について考える上で、これは誘拐や監禁など犯罪現場だけでなく、児童虐待や、夫やパートナーから暴力を受ける状況でも起こっているという考え方があります。被害者の内面には、助かりたいという気持ち、少しでも苦痛から逃れたいという気持ち、自分への過小評価があると考えられています。
佐藤・小畠・田中(1997)は、「外界から隔離された状況下での支配的な人間関係から生じる点でカルトの洗脳・マインドコントロールの際の教祖と信者との関係もまたこれに相当する。しかし,いずれにせよ,これらは自己の存在が脅かされる程の過大なストレスに対する対処行動の一つであることに変わりはない」としています。またアンナ・フロイトが『自我と防衛』の中で述べている“攻撃者への同一化”についても取り上げています。アンナ・フロイト(ジークムント・フロイトの娘)は「このような同一化は,不安を増大させている権威的存在から自我を守るために自我そのものにより惹起されているのであり,相手の攻撃や懲罰を避けることを目的とする」という見解を持っていたようです。
監禁された人や虐待の被害者が、逃げられない、逃げない理由の裏には、こういった心理が働いている場合があると考えると、解決が容易でないことも理解できます。
ストックホルム症候群と対で、リマ症候群という心理現象もあります。これはストックホルム症候群とは逆に、加害者が被害者に対して抱く心理現象です。加害者は被害者に次第に親近感を抱き、攻撃態度から共感的態度に変化していくというものです。ストックホルム症候群と共通して、緊迫した状況下で一緒にいることは心理に何らかの影響を及ぼすということが言えると思います。誘拐や監禁の被害に遭うことは稀かもしれませんが、虐待やDVは身近にあることなので、こうした心理が働き、問題を複雑化させる可能性があることを頭に入れておきたいですね。
<参考・引用文献>
作田明(2002)「245.ストックホルム症候群[英]Stockholm syndrome」臨床精神医学, Vol.31(10), pp.1242-1243
佐藤親次・小畠秀悟・田中速(1997)「ストックホルム症候群」臨床精神医学26(3)pp.301-306
重村淳(2008)「[レクチャーシリーズ]用語集⑧ストックホルム症候群」トラウマティック・ストレス第6巻,第2号
『ストックホルム・ケース』
2020年11月6日より全国公開
REVIEW/デート向き映画判定/キッズ&ティーン向き映画判定
ストックホルム症候群の語源となった事件を映画化。あくまで映画の設定として観てですが、犯人のキャラもかなり影響があるように思えます。
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『ベル・カント とらわれのアリア』
Amazonプライムビデオにて配信中(レンタル、セルもあり)
ブルーレイ&DVDレンタル・発売中
REVIEW/デート向き映画判定/キッズ&ティーン向き映画判定
1996年12月16日(日本時間17日)に、南米ペルーのリマにある日本大使公邸で起こったテロ事件を映画化。本作では、ストックホルム症候群とリマ症候群の両方が起こっているのがわかります。リマ症候群はこの事件が語源となっています。
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『エンテベ空港の7日間』
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REVIEW/デート向き映画判定/キッズ&ティーン向き映画判定
1976年に起きた、イスラエル・テルアビブ発パリ行きのエールフランス機ハイジャック事件を映画化。240名の乗客に対してハイジャック犯は4人という状況ですが、一部ストックホルム症候群、リマ症候群と見られる関係がうかがえます。
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TEXT by Myson(武内三穂・認定心理士)