心理学

心理学から観る映画7-1:大人になるまで待って【モラトリアム】

  • follow us in feedly
  • RSS
映画『劇場』山﨑賢人

春はスタートの季節ということで、将来に向けていろいろと考えたり、準備をし始める時期でもあります。特に学生は、学年が上がるにつれて、どんな仕事に就きたいかを具体的に考えますよね。それは同時に、1人の人間として自分の意志で、どんな大人になりたいか、どんな生き方をしたいかを決めていくことに繋がっていきます。でも、なりたい大人になるのは簡単ではありません。だからこそ、モラトリアムという期間は、人間が成長する上でとても大事だと言えます。そこで今回はモラトリアムについて、映画のキャラクターを例に考えてみます。

<参考・引用文献>
鹿取廣人・渡邊正孝・鳥居修晃ほか(2015)「心理学 第5版」東京大学出版会
戸田まり・サトウタツヤ・伊藤美奈子(2005)「グラフィック 性格心理学」サイエンス社
谷口明子・木村晴・小松孝至・坪井さとみ ほか(2018)「教育心理学」武蔵野大学
下記は、上記で語られている内容から一部引用しまとめた上で、映画に関するところは本記事筆者の考察を掲載しています。

いつまでもモラトリアムだと、人はどうなるのか?

※ネタバレ注意!

自我同一性(アイデンティティ)という概念を提唱したエリクソンは、自我同一性を確立する上で重要な時期をモラトリアムと呼びました。モラトリアムとは、「自分はこういう人間だ」という自我同一性(アイデンティティ)を確立するために、社会的な責任や義務を果たすことを猶予された一定の期間のことを言います。学生でいる間は、まさにモラトリアムの期間ということになりますが、モラトリアムの終わりって誰にでもくるのでしょうか?その答えを知るには、次のことが鍵となります。

マーシャは、自我同一性の中核をなすと考えられる職業観、宗教観、政治観の3つの領域について、それぞれの領域で危機(=ここでは自分がどんな人間か、どんな生き方をしようかと悩み考えること)を経験しているか、それぞれの領域で自分の見出した価値観に対して積極的に関与できているかという観点から、自我同一性ステイタスを見出そうとしました。マーシャが考えた自我同一性ステイタスには、下記の4つがあります(谷口明子他、2018)。

  • 同一性達成:それぞれの領域で“危機”を経験し、自分が選んだ価値観に積極的に関与できている。つまり、自分とは何かという概念が自分なりにある。
  • モラトリアム:各領域での危機”を経験している最中で、積極的に関与すべき価値観を探索中である。
  • 早期完了:各領域での危機”を経験していないが、自分にとって重要な他者の価値観をそのまま採用するなどして、それぞれの領域に積極的に関与している。
  • 同一性拡散:各領域で“危機”を経験している場合も経験していない場合もあるが、どちらにしても、各領域での価値観に積極的に関与することを否定している。

いつかは同一性達成のステイタスになることが健全だと考えられますが、現代社会では、モラトリアムを引き延ばす人達が増えているという指摘もあります。では、モラトリアムのままな人とは、どんな人なのでしょうか?

映画『劇場』山﨑賢人/松岡茉優

又吉直樹の同名小説を映画化した『劇場』に登場する、永田(山﨑賢人)と沙希(松岡茉優)を例に考えてみましょう。本作は下北沢を舞台にしていますが、永田は友人と劇団を旗揚げし、下北沢で舞台上演をしたり、脚本を書いたり、演劇界で成功することを夢見ています。でも、なかなかうまくいかず、明日の生活にも困る状況のなか、彼は沙希に出会います。そして、いつの間にか永田は沙希の家に転がり込んでしまいます。

一見、自我を強く持っている永田ですが、大人として自立できていません。また演劇人としても、他者の意見を素直に聞かず、味方をどんどん失い、方向性も定まらなくなってしまいます。まさに理想だけが先走って、実態がついていかない、自分自身がその理想についていけていないという状態。幸か不幸か、沙希の存在があることで、永田に甘えが出てしまっているのも見てとれます。

彼がどうなっていくのかは、映画を観て頂くとして、こういった若者は必ず身近に何人かはいます。一時的にそうなることは誰にでもありますが、自分に折り合いをつけていくことができないままでいると、届かぬものを追い求めて、それをいつ諦めるかもわからなくなり、ずっとモラトリアムにとどまってしまうのだと思います。

また、他者との関係を構築する上でもアイデンティティは重要で、自我ができていないと、お互いに得るもの、与えるものがない状態に陥り、関係が長く続かないという見方もあります(戸田まり他、2017)。他者との関係のなかで自我が形成されていくということも考えられるので、卵と鶏の話にはなりますが、本作で考えると、沙希は永田に出会ってしまったことで、自我が崩壊されていっているようにも見えます。

こうして見ると、モラトリアムって良くないことと思われるかも知れませんが、発達過程で必要な期間です。また、アイデンティティの構築は青年期に限ったことではなく、大人になってもアイデンティティは変化し続けると考えられます。でも、自分のアイデンティティが全く掴めない状態でいると、自分に合った仕事、恋愛、友達、居場所を見つけるのも苦労するでしょう。そういった意味で、青年期のうちにアイデンティティの基盤が見つかることが望ましいのだと思います。ですので、学生の皆さんは今の期間を大切に、いろいろな経験をすると良いのではないでしょうか。

映画『劇場』山﨑賢人/松岡茉優

『劇場』
2020年7月17日より全国公開
公式サイト REVIEW/デート向き映画判定/キッズ&ティーン向き映画判定

夢を追うために来たはずの下北沢で、どんどん現実を突きつけられ、自信を失い、自堕落になっていく青年と、彼をひたむきに支え続ける恋人の物語。

© 2020「劇場」製作委員会

何者

『何者』
Amazonプライムビデオにて配信中(レンタル、セルもあり)
DVDレンタル&発売中

日本特有のモラトリアムの観点から、職業決定とアイデンティティの確立には関連があるという見方もある(谷口明子他、2018)。就活生のリアルな姿を映し出す本作には、それが見てとれる。

TEXT by Myson(武内三穂・認定心理士)

関連記事
  • follow us in feedly
  • RSS

新着記事

映画『DROP/ドロップ』メーガン・フェイヒー DROP/ドロップ【レビュー】

主人公のバイオレット(メーガン・フェイヒー)は、幼い一人息子を育てるシングルマザーで、壮絶な過去を乗り越え…

映画『君がトクベツ』畑芽育 畑芽育【ギャラリー/出演作一覧】

2002年4月10日生まれ。東京都出身。

映画『この夏の星を見る』桜田ひより この夏の星を見る【レビュー】

2020年、新型コロナウィルス感染症が世界中に広まった1年目、私達の日常は大きく変わりました。本作では、その2020年に、長崎県、茨城県、東京都に住む中高生達が過ごした日々…

映画『国宝』吉沢亮/横浜流星 映画レビュー&ドラマレビュー総合アクセスランキング【2025年6月】

映画レビュー&ドラマレビュー【2025年6月】のアクセスランキングを発表!

映画『ナチス第三の男』ジャック・オコンネル ジャック・オコンネル【ギャラリー/出演作一覧】

1990年8月1日生まれ。イギリス出身。

映画『ハルビン』ヒョンビン ハルビン【レビュー】

『KCIA 南山の部長たち』『インサイダーズ/内部者たち』のウ・ミンホが監督と、『ソウルの春』の制作スタッフとタッグを組んだ本作は…

映画『ハルビン』ジャパンプレミア:ヒョンビン、リリー・フランキー、ウ・ミンホ監督 リリー・フランキーがヒョンビンの優しさを感じたエピソードとは?『ハルビン』来日ジャパンプレミア

ヒョンビン主演のサスペンス・アクション映画『ハルビン』が、7月4日より全国公開となります。その公開を記念し、ヒョンビンとウ・ミンホ監督が来日し、さらに本作で伊藤博文役を演じたリリー・フランキーが登壇するジャパンプレミアが行われました。

映画『サブスタンス』デミ・ムーア デミ・ムーア【ギャラリー/出演作一覧】

1962年11月11日生まれ。アメリカ、ニューメキシコ州出身。

映画『アスファルト・シティ』ショーン・ペン/タイ・シェリダン アスファルト・シティ【レビュー】

ニューヨークのブルックリンを舞台に救急隊員が直面する日常を描いた本作は、シャノン・バーク著「Black Flies」(2008)を原作として、『暁に祈れ』のジャン=ステファーヌ・ソヴェール監督が映画化…

映画『Mr.ノボカイン』レイ・ニコルソン レイ・ニコルソン【ギャラリー/出演作一覧】

1992年2月20日生まれ。アメリカ出身。

本サイト内の広告について

本サイトにはアフィリエイト広告バナーやリンクが含まれます。

おすすめ記事

映画『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』トム・クルーズ 映画好きが選んだトム・クルーズ人気作品ランキング

毎度さまざまな挑戦を続け、人気を博すハリウッドの大スター、トム・クルーズ。今回は、トム・クルーズ出演作品(日本劇場未公開作品を除く)を対象に、正式部員の皆さんに投票していただきました。

映画『シークレット・アイズ』キウェテル・イジョフォー/ジュリア・ロバーツ /ニコール・キッドマン 映画好きが推すとっておきの映画を紹介【名作掘り起こし隊】Vol.5

このコーナーでは、映画業界を応援する活動として、埋もれた名作に再び光を当てるべく、正式部員の皆さんから寄せられた名作をご紹介していきます。

映画『プラダを着た悪魔』アン・ハサウェイ/メリル・ストリープ 元気が出るガールズムービーランキング【洋画編】

正式部員の皆さんに“元気が出るガールズムービー【洋画編】”をテーマに、好きな作品を選んでいただきました。果たしてどんな結果になったのでしょうか?

学び・メンタルヘルス

  1. 映画『君がトクベツ』畑芽育/大橋和也
  2. 映画でSEL:告知1回目
  3. 映画『親友かよ』アンソニー・ブイサレートピシットポン・エークポンピシット

REVIEW

  1. 映画『DROP/ドロップ』メーガン・フェイヒー
  2. 映画『この夏の星を見る』桜田ひより
  3. 映画『国宝』吉沢亮/横浜流星
  4. 映画『ハルビン』ヒョンビン
  5. 映画『アスファルト・シティ』ショーン・ペン/タイ・シェリダン

PRESENT

  1. 特製『平成狸合戦ぽんぽこ』ふんわりキーホルダー正吉
  2. トーキョー女子映画部ロゴ
    プレゼント

PAGE TOP