今回は『親友かよ』を取り上げ、親友らしい態度とは何かを考えます。ちなみにタイ発の本作の英題は、“NOT FRIENDS”です。
本作は、『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』『ハッピー・オールド・イヤー』『女神の継承』など数々のヒット作を生み出しているタイの映画制作会社“GDH 559”が手掛けた作品です。そして、『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』のバズ・プーンピリヤ監督が、本作で初めてプロデューサーを務めています。また、“GDH 559”は、本作と同日に日本で劇場公開される『おばあちゃんと僕の約束』も制作しています。最初にお伝えしておくと、『親友かよ』『おばあちゃんと僕の約束』ともにとても優れた作品です!

【映画でSEL(社会性と情動の学習)】の簡単な解説はこちら
解説動画はこちら
約1分のショートバージョンはこちら
『親友かよ』の主人公は、高校3年生の最後の学期に転校したペー(アンソニー・ブイサレート)です。ペーは、転入先の高校で、ジョー(ピシットポン・エークポンピシット)の隣の席になります。ペーに明るく話しかけるジョーに対して、ペーはずっと素っ気ない態度をとっていました。でも、ある日ジョーは事故に遭い、帰らぬ人となってしまいます。そんななか、進路に迷うペーは、短編映画のコンテストに入賞すれば試験を受けずに大学に入れると知り、良からぬアイデアを思いつきます。

ペーは亡きジョーの親友だと名乗り始めたものの、中学からジョーを知るボーケー(ティティヤー・ジラポーンシン)に真相を見抜かれます。でも、この物語はここからが始まりで、キャラクター間の複数の関係性において、親友か友達ですらないかを問うストーリーが展開していきます。

前半では、親友ならではのポジティブな側面に焦点が当てられつつ、後半では、ジョーにまつわる知られざる出来事が発覚し、ペーとボーケーの“親友”としての態度が問われる内容となっています。言い換えると、「親友ならこうする」「親友なら絶対そんなことはしない」というように、親友かどうかを試す観点がストーリーの中に散りばめられています。

SELの基礎的社会的能力の観点から本作を観ると、亡きジョーについて知っていく過程は「他者への気づき」、ジョーにまつわる知られざる出来事を知った後は「責任ある意思決定」に紐付けられます。
ペーもボーケーも、ジョーが亡くなってから彼をさらに知っていき、改めてジョーとの思い出を振り返るうちに、自分とジョーの関係が親友だったのかどうかに気づいていきます。

親友かどうかをテーマに描かれているものの、本作は親友至上主義というわけではありません。私なりの解釈で言い換えると、親友だと思っていても裏切ってしまうこと、逆に裏切られてしまうことはあるかもしれないし、親友だからこそ許せること、許せないことがある。だから、親友かどうかを明確に判別できないかもしれないけれど、親友と呼べるかどうかよりも大切なことがあると本作は謳っているように感じます。

子どもでも大人でも、仲が良い(と自分は思っている)友達相手だからこそ、良からぬことが起きた時のショックは大きくなりがちです。でも、もしかしたら自分が知らない事柄にそのショックの意味や大きさを変える要素が入っているかもしれません。本作を観ると、独りよがりに腹を立てたり、落ち込み続けるのではなく、新たな視点を得て、視野を広げて、自分が穏やかでいられる関係性を探るヒントを得られるでしょう。

本作は、高校生による映画作りがストーリーの軸となっているので、作品のあちこちに映画愛が散りばめられています。そういう意味で、映画好きの方は一層楽しみながらSELをできるので、【映画でSEL】の題材にピッタリの作品です。

『親友かよ』
2025年6月13日より全国順次公開
インターフィルム
公式サイト
ムビチケ購入はこちら
映画館での鑑賞にU-NEXTポイントが使えます!無料トライアル期間に使えるポイントも
©2023 GDH 559 AND HOUSETON CO., LTD. ALL RIGHTS RESERVED
TEXT by 武内三穂(認定心理士)
本ページには一部アフィリエイト広告のリンクが含まれます。
情報は2025年6月時点のものです。最新の販売状況や配信状況は各社サイトにてご確認ください。